魔を祓い心身を整えてくれる最高の相棒
梓弓は神を降ろしたり邪を祓うのに昔から使われていた神具で、魔を祓う特別な梓という木に精麻を張った音を奏でる弓です。
穢れ(ケガレ)とは、何か物質的に汚れていることではなくて自分を責めたり卑下したり、他人の出す嫌な波動を受け取るといった、目には見えないけれど心を蝕む思い込みです。
日本人が昔から“麻”と呼び、生活を支える基本素材として使われていた日本古来の麻・大麻の本領はこの精麻にあり、神道ではこの繊維こそが清めの本質として今でも使われています。
水で身を清める禊ぎ、お清めの塩、それらで祓えないものを祓う本質的な清めを行なえるものが日本古来の麻・大麻の繊維です。
今でも神事の際に神主の振る大麻(おおぬさ)に精麻が結ばれており、これが祓い清めの主で、もともとの作法は精麻に触れ引きなでることで清められるものと考えられてきました。とはいえ大麻草の繊維なら何でも良いわけではなく、日本で伝わる伝統的な大麻農業で生産された輝く精麻でなければ意味がありません。
栃木の麻農家さんに行き、直接お話を伺いました。精麻は光があるほど浄化の力が強いと考えられていますが、麻農家さんの精麻はまさに黄金色でした。
『ととのう場所』で精麻に触れると、気がついたら・夢中になっていたら、ととのっている そんな時間を過ごしていただきたいと思います。
梓弓(小)18,000円
梓弓(中)28,000円
梓弓(大)38,000円
*送料別途必要
※梓弓はご予約いただいた方を想いながら、1本1本丁寧にお作りしております。
※梓弓は梓と言う木を使っていますが梓は現在の徳仁天皇陛下のお印の木です。
決済後、お客様都合でのキャンセル・返金は致しかねます。内容をよくご確認の上、お申込みください。
私が“梓弓”を作るようになったワケ
まだ箕面で蓮根料理専門店をしていた数年前のある正月、ふと従妹にラインしたことから昔話になりました。話してるうちに「おじいちゃん、祈祷師だったもんね…」という言葉が従妹の口から飛び出してきて、私は「えっ、え~っ!」と驚くばかり。
詳しく聞いているうちに、おぼろげながら記憶がよみがえってきました。そういえば昔、大きな神棚があったよなぁ。その前で、おじいちゃんは毎朝正座して米を木皿に当てつつ怖い顔(そう見えた)でブツブツ言ってた。時々、神棚の前に神職みたいな人が何人か来てたりもしたなぁ。
従妹は幼少期、身体の調子が悪くなるとおじいちゃんに祈祷をしてもらっていたらしいのです。大きな祈祷の際、力を授かりに籠ったという神社名を聞いた時は、懐かしい響きに震えました。ずっと忘れていた50数年ぶりの光景が鮮明になってくるにつれて、言いようのない感情が湧き上がり泣きそうになりながら無意識に言葉が出てきていました。
「明日、その神社に案内してほしい…」
翌日、無理を言って従妹に同行してもらった木野山神社。里宮でお詣りした後、車で20分以上入った山の中にある奥宮へ行ってみると、拝殿は二十人以上入れそうな広い部屋になっていました。その中で祝詞を奏上すると、声が響き渡って私一人じゃなくおじいちゃんを感じたのです。何とも言えないやわらかな包まれ感の中、心から幸せを味わいました。
実は、半年前まで祝詞も知りませんでした。たまたま、神宿る島“篠島”にてご神事に使う塩を作った(今も作ってます)ことから「篠島の母」とご縁をいただいて、箕面の店に篠島の母が来店され龍神様をお迎え。私たち二人にも“宝珠”が授けられました。祝詞はその時からです。
それから2ヶ月ほど経った春のある日、ふと墓参りがしたくなって田舎に帰りました。なぜか、読んでいた本を手にしたままに。おじいちゃんに先日の礼を言って墓を出た後車に乗り込んで、ふと、持ってきた本を開いた時に思わず叫び声をあげてしまいました。
そこに載っていた写真は、おじいちゃんが祈祷する時に叩いていた「弓」だったのです。その時の音やリズムの感じまでありありと蘇ってきました。父親や叔母に聞くと、そういやぁ弓を叩いて拝んでたなぁとのこと。それが「梓弓」と呼ばれるものだということも初めて知りました。
そして、なぜか無性に欲しくなってきたのです「梓弓」が。それからいろいろ調べてみましたがどこにも売っているところが無く、梓弓は現在、宮中行事や神社の祭祀において祓いの儀式で使われる特別な神具であることがわかりました。
一旦は落ち込み、あきらめようとしました。しかし、どうにも頭の中の絵が消えなくなっていたのです。梓弓を叩いている“自分”の姿が。そして数日後、ふと、無いのならば作ってみろ!とどこからか声がしたような氣がしました。周りを見回しましたが誰もいません(笑)
そうや、作ればいいんや!それから夢中で調べました。梓の木を扱っている材木屋、どうやって木を加工したら良いのか?そもそも梓の木は流通量が少なくて、扱っている所はなかなかありません。しつこくしつこく探し続けてやっと見つけました。材木屋の社長さんは、「話に聞いたことはあるが本当に作る人がいるんやね」と笑ってました。しかし、大きな塊のような分厚い板。
どうにもならないので適当なサイズにカットしてもらえる製材所を探しましたが、なかなか受けてくれる所はありません。何軒も訪ね歩いてやっと受けてくれたのは、親子二代で営む昔ながらの製材所でした。親父さんは、「梓の木かぁ、久しぶりに扱うなぁ」と、どこか嬉しそう。
梓の木は普通の木と違って、固く反りやすい性質らしく息子さんと打ち合わせしながら慎重にカットしますが、傍で見ても固そうで切りにくそうな感じが伝わります。仕上がったものを前に、親父さんは満面の笑み。なんか、バトンを渡されたような不思議な感じでした。
材料はそろいましたが、どうやって加工したらいいのかまったくわかりません。本などを参考にして試行錯誤の連続です。カンナ(大工道具)など持ったこともなく、見よう見まねで形を削り出すのですが、初めは梓の木の目の方向や歪みが分からず全然上手くいきませんでした。
何とか形が出来ても、それを弓の形に曲げるのが至難の業。いろいろ方法を試してみましたが、どうやっても途中で折れてしまう。それでも、あきらめずに続けていたところ、ある瞬間にコツが見えてきました。ただ、木は一本一本性質が違うので、今でも時々折れることがあります。
失敗すること数十本、やっと思うような梓弓が仕上がりました。ここに張る弦は精麻を使うのですが、これまた不思議なことに前年の12月、忙しい合間を縫ってわざわざ栃木県の生産農家へ出向き特上の精麻を手に入れていたのです。梓弓など、まだカケラも見えないはずなのに。
梓弓が完成すると、嬉しくて嬉しくて鳴らすだけはでなく、ふと身体にも当ててみたところあることに氣づきました。不思議なことに振動が身体の中から響く感じがするのです。特に骨に当てて響かすと、余計なものがどんどん身体の外に出ていくような感じも。
早速、知り合いに試してみると、「すごい、これ欲しい!私にも作って!売って!」と言われ困惑しました。やっと出来たものだし、そもそも自分のために作っただけだし。しかし、なんか作りたくなって引き受けたところ、次々に注文をいただきました。
百張を超える梓弓を納めた頃、今の「なごみ城」へ引っ越したのですが、ここでも不思議なことが。この屋敷は奥座敷が宮大工の手になる凝った造りなのですが、ある部屋の押し入れから宮大工さんのカンナやノミなどが出てきたのです。家主に問い合わせると使ってくださいとのこと。
使い込んだ大きなカンナだったのですが、試しに梓の木に当ててみるとビックリするくらいの滑らかさで綺麗に削れるのです。ネットで買った今までカンナとは別物の仕上がりになり、弓の形もまったく違うものに。もっとこうできるぞ!とイメージが湧いてくるんです。
引越した家の押し入れから理想の道具が出てくる。こんなことって、ある?
今振り返ると、篠島から始まっていたのかなと思うのです。その時は、意味も解らずただ目の前の出来ることをやっていただけ。塩作りも正月のラインも栃木の精麻も、ふと、浮かんだことをやっただけなのに、みごと一本につながっていました。
今、還暦を過ぎて、毎日梓弓を叩いて祝詞を奏上する私。梓弓を作らせてもらうこと、そのものがご神事だなぁとしみじみ感じています。
梓弓は穢れを祓う日々の禊祓いにお使いください。
弦は指で触れてください。
直接弦を触れることで放たれる振動は柔らかく、その場に集まる命あるものすべてと共鳴するように優しく包み込んでくれます。
穢れって、人や場所の負のエネルギーを知らず知らずもらうものです。「気が重い」というのは文字通り、負のエネルギーをまともに受けている状態です。
心が弱ると、ますますネガティブな考えや現実を引き起こしてしまいます。
古代の人が知っていた、神社で今でも続けられている、梓弓で魔や邪を祓う儀式。
お祓いは、ネガティブなものに影響されない「結界」を作ります。結界とは、心身を邪悪なものから守るベールのようなもの。
結界ができると、嫌な人のネガティブな影響を跳ね返し、嫌な気分をリセットすることができるのです。
自分のものではない"穢れ"それを祓ってくれるのが梓弓です。
心と身体のメンテナンス、今まで体感したことのない安心感に包まれると言われます。
ーご感想 ー
(セラピストさん)